世界の杉並区ーわたしの文化設計/新居格(既刊『杉並区長日記 地方自治の先駆者・新居格』より)

(虹霓社より刊行中の『杉並区長日記 地方自治の先駆者・新居格』から「世界の杉並区」の全文を掲載します。杉並区でも高円寺の再開発などが話題になる今、戦後すぐの杉並区長がどのような〝夢の町〟を設計しようとしていたのか。ぜひお読みください)

世界の杉並区ーわたしの文化設計

わたしは、わたしの住む杉並地区を、農業試験のつもりでいろいろの設計をしてみたいのである。だが、わたしは一人のユートピアンである。そうした夢の設計が、どの程度にまで実現するか、それともしないか、神様でないわたしには分からない。でも、わたしには夢みるものがあるのでなければ、わたしは区長なんかになっているのはいやだ。

●未来のワイマールに
杉並区の面積は37平方キロで、表面の人口は約28万といわれているが、しかし陰影のように転入する人口数を加えるとすれば30万、或はそれ以上かも知れない、という人がある。いずれにしても六大都市をのぞけば相当の大都市である。すると、わたしは杉並村長のつもりではあるが、大都市の市長であるのかもしれない。それにとに角、杉並区には農地は700町歩ある。そして農家は887世帯、そして平均家族が5.5人とすれば農民人口も相当ある。この区には農民組合もある。

モナコ公国をふと思う。この国は8平方マイル、人口22150人。すると、我が杉並区はモナコ公国の十何倍かの人口をもっている。だがモナコは柔らかい気候の健康地である。避寒地として知られている。それに緑の地中海に面している。杉並の気候は必ずしもいいとはいえない。といってわるくはないが。所によっては富士がみえる。杉並区を越えて眺められる富士山は好風景たるを失わぬ。モナコには有名な賭博場たるモンテ・カルロがある。だからといって、わたしは杉並区内にモンテ・カルロに対抗するようなものを設計したら、とは思わない。競馬場もない。ドッグ・レースもない。競馬場はヴァン・ドンゲンやその他のフランス画家の描くようなものであったらば、あってもいいとは思うが、いまのわたしの設計面には入っていない。
ルクセンブルグ(ベルギー国南部の大公国)ーそこは人口26万有余。すると、杉並の人口はルクセンブルグよりは大きい。旧ザクセン・ワイマールのことをも考えてみた。

杉並区を新しい文化地区にしたいこと、それがわたしの夢である。しかもその夢は必ずしも不可能だとは信ぜられない。
荻窪駅の北側にある大通り、あのあたりがわが杉並区のセンターともなろう。よき図書館、上品なダンスホール、高級な上演目録をもつ劇場、音楽堂、文化会館、画廊などがあってほしい。現に用意されつつある部分もある。
東都文化興業株式会社は、その事業の第一着手として、荻窪駅北口に近接した地点に劇場を創設し、高級な映画と演劇とを区民のために提供せんとしていた。創立発起人には和田三造画伯、近衛秀麿、藤原義江氏等がなっている。その計画は一度許可され、その後建築は住居を先決問題とするという理由で許可を取消されたが、わたしはそれの再許可を希望して止まないものがある。というのは、文化国家としてそういう企画は当然に許さるべきだと信ずるからである。

わたしは、ちゃちで安っぽい、お手軽式な計画をきらう。そんなものならない方がましだと思っている。
お手軽、間に合せ、それはまさに文化の敵だからだ。物価は引下げ運動が必要だが、文化はどこまでも引上げ運動が大切だからだ。戦後における文化はいちじるしく低下した。それをそのままに放置するわけにはいかない。わたしの文化設計は文化の引上げ運動に外ならないのである。

わたしは、わたしたちの住む地域を芸術の香り高い文化の地域にしたい、と宣言した。そのために文化委員を委嘱したいと考えている。建築については石原憲治博士を、公園については井下清氏を、土木計画については、山本亨氏を、といった風に。道路、交通、照明、行路樹、橋梁等について、また芸術文化の各部門にたいして、それぞれの適任者から教えを乞いたい。緑樹に囲まれた画廊もほしい。文化殿堂を建て、そこには文化的集合や清い享楽がありたいものである。

●沿線と駅付近を美しく
中央線に沿ってポプラ、アカシア、プラタナスの行路樹、そして省線電車は森の中を走るような快適感。駅の歩廊にはすっきりした広告ばかり、美的観念を与えるような、俗悪なものさらになし。駅頭には目をなぐさめる花壇があって色とりどりの花を咲かせ、芳香はあたりに漂い、柔らかな雰囲気を人々にあたえること。総じて駅の付近には広潤な感じのあること。キオスクなども清麗であるとすれば、そこで売るインクの香の高い新聞雑誌も薄っぺらなものではいけないという気にもなるであろう。

美しい地域、道はひろく清潔に、森は緑を湛えて静かに横たわり、道路を照らす照明は風雅に、森の中は、散策と憩いに通ずるように。音楽堂もあれば、噴水は晴れた日の光をうけて、虹いろの飛沫をちらし、緑樹の蔭には大理石の平和な女神か芸術家の彫像が立っていて、木の葉を洩れる光線が好もしい陰影をつけている。こういう杉並区に住む青年男女は、聡明な目をして知性の高さを示し、とり交す対話もすぐれた戯曲の中の台詞のようなものであってほしい。

ほんとうによいライブラリーをもちたい。ある人が荻窪に高級なよいライブラリーを奉仕的に建設しようという意思を、わたしはきいている。よいライブラリー、それをわたしは何よりも欲する。その図書館は白もしくはクリーム色の建物であらしめたい。その建物をかこむ庭は緑の芝生と草花とが目に美しく、読書につかれて充血した眼を憩わせるであろう。ベンチが花壇の傍に置かれている。そこは思索と瞑想との場所たらしめてもいい。幻想に耽ける場所にしても。
子供たちにとっても、町全体がアンデルセンやグリムやハウフの童話そのままでありたいと思う。

わたしは、大宮公園を清らかで清閑で、しかも近代的な美しいものにしたい。わたしはまだ区の全地域を隈なく歩いてはいないので、どこを夢の材料にして設計しようとする方針は立たないが、ただここに少しく手を加えるならば、いくらでも夢の都市計画が出来そうに思われるのである。
緑地と家屋とを巧みに調節させる。省線近くは広場に、駅を降りると、露店の並ぶような情景はわたしの希望からは遠い。道はかなりひろげられたが、わたしの文化設計としてはあの道の二倍ぐらいの広さがのぞましい。線路寄りに沿うて家屋が近接することは面白いことではない。そこはかなりのひろさにおいて緑地であらしめたい。ひろい道、そこには行路樹があれかしと思う。
線路に沿うて並行の並木がほしい。駅の近くには文化的の香りが何らかの形で、色で、のぞましいものである。

駅頭が広場であってほしいのは、そこを人民討論場であらしめたいからだ。人々は集まって機智と理性の討論会たらしめ、選挙のときなどは意見発表の場所とも出来るからである。どうしても広場と大通りが要るのだ。現に、杉並の中心となろうとする傾向のほの見えるのは荻窪北口である。思うに、それは大通りが東から西に流れているからではあるまいか。

●果樹園と牧場も
わたしたちの住む地域の、いってみればスカートにあたるあたりは、農村的形貌を備えている。だが、そこといえども、やっぱり都会的なひびきは常に伝わっている。いってみれば、杉並区は生産地域である。米麦の供出も相当量ある。といったところで、米などは区民の一週間分の食糧にも足りないけれど、とにかく都内では生産地区である。農民組合もあれば農地改革委員もある。だが、わたしはこの地区の農業形態はもっと多角的にもなり、有畜農業になってほしい。蔬菜や果実を、もっとさかんならしめたい。美を主としたいのではないが、果樹園の美も出現せしめてほしい。

地区内の農地を新しい都市生活にマッチさせたいものである。そこに現出する都市農地の新景観、それを夢にしたらどうなるか。道もそれらを貫いて白く広く、多角農業に多角都市としての清新さを絵のように描いてみたい。チューリップの球根は、百合根よりはうまいそうだ。チューリップの畠は、オランダのようにあらしめたいものだ。道をゆけば芳香の漂うような地域。この世ながら楽園の模写のようなところ。蝿も蚤も蚊も一匹だっていない土地。それがわたしの杉並区の夢。

多角的な畜産農業であることがのぞましいとすれば、牧場もほしい。林をバックに、牧牛の風景もあっていい。嬰児をして乳不足で泣かせたくない。馬も山羊も豚もといった風に。現在は牛一頭が2万円も、それ以上もしている。従って山羊の仔一匹だって高価であるが、そうした設計のためには、仔牛仔馬仔山羊が何とかして安くなるようにしなければならない。
それに、牧場の春も快い眺めだからだ。それらの風景が都会的な要素と巧みに調和するようにしたいものである。

●すみずみまで近代的舗装路が白く流れて……
現在のところ、道路のよいのは幾部分かであって凡てについては遺憾な点が多い。しかも武蔵野の地質は、そのままでは道路に不適当である。文化は道路によって象徴されているとしていい。日本一の幹線道路であるべき東海道の国道すらが話にならぬ。杉並区の道路がほんの一部をのぞいて、近代的観点から道といっていいかどうかはあきらかに問題だ。そこが文化地域であるためには、道路が隅から隅まで近代的舗装となって白く流れてあらねばならない。文化地域はまず道路からである。ところが、財源と資材の不足からあのおとし穴のような大穴のあいたあぶない橋梁さえもが、なかなか手がつかないのである。どんな家でもいいから、人々に住む家をまずのぞむのだ。だのに、それさえが叶えられない。「狐は穴あり、そらの鳥は巣あり、されど人の子には枕するところなし」といった聖書の文句を思い浮べたいほどの住宅不足である。その状態にあって、何の文化設計ぞや、という嘆きなきをえない。

また、人々は栄養失調にともすれば陥ろうとする。そのときわが文化設計でもないものだといえもしよう。だが、それにもかかわらず、わたしに文化設計の必要と思われるのは、人はパンのみに生きるものではないからだし、日本が文化国家としてこれから立ってゆく上にも、文化促進の義務が課せられているからである。
文化にもいろいろあるが、民衆生活の現段階では生活文化であることが基盤だと思う。その上に咲く芸術文化である。わたしの文化設計は、その両面を連接してすすめられねばならぬと信じている。

●文化は雪の如く白し
過去の日本文化を過重するうぬぼれを日本人は止めなければならない。そうした愚劣なうぬぼれを捨てても、あるものはあり、のこるものはのこるのだ。それよりも文化の不足を反省すべきである。そうした反省と、それからくる創造的前進性がなければ、文化にたいする新しい設計は可能とはならないのだ。

わたしに思いのままのユートピア的構想をひろげさせてもらえるものなら、それこそ勝手な夢をひろげるでもあろう。
だが、あまりにも実現不可能なことをかきたくはない。わたしは杉並村長に過ぎない。で、わたしの文化設計は自ずから杉並地域に向けられる。文化設計は色も匂もあるべきだが、清潔に関心を置くことが重大な要素である。
清潔性を欠いた文化というものがありうるとしても、それはわたしの採択したがらないものなのだ。わたしがモンテ・カルロをわが杉並に望まないのは、それの与える影響に、清潔感がありえないからである。

ここで注意すべきは、文化設計は一に思索にまつべきであって、模倣や軽佻な思いつきからは適正なものとはならないであろうということである。
文化は雪の如く白いという感じがあってこそ、また、白百合が芳香を放つといったところがあってのことだ。わたしの文化設計を象徴的に表現するならば、まずそんなことがいえるようである。

『杉並区長日記 地方自治の先駆者・新居格』
・本体1600円+税
・B6判/並製/272頁
・ISBN978-4-9909252-0-8 C0095
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